こんにちは。曇り空の冷たい午後です。
如何お過ごしですか?
私は朝10時から大好きな<孤独のグルメ>の<五郎さん>を見ながら雑用をし、お昼食を済ませコロコロしていたら睡魔に襲われ、気がついたら<五郎さん>が終わっており・・・18時のBS<孤独のグルメ>を楽しみにいつつDiaryを綴っております。
22時からも<五郎さん>です。<彼>の心の声と<食べっぷり>、「腹がへった」と<彼>が小さくなっていく絵が好き。
私が<おひとり様>での外食が好きなのは、まさしく<五郎さん>・・・自分の好きなものを気兼ねなく存分に食べることができるから。
あなたの<年越し蕎麦>は何ですか?
私は<天せいろ>を<よし田>で頂いているので、<にしん蕎麦>を作ります。
<細く長く健康>を願いながらの<年越し蕎麦>ね。
さてさて、大晦日のDiaryは<今年の漢字一文字>を綴っています。
今年はもう<達成>しかない。<達>か<成>かは選べない・・・<達成>です。
「今年は<達成>の年」だと言われた。「上昇気流に乗ってる。乗りに乗っているから<動け>」と言われた。
「住まいを引越しなさい。そうすると2年後からの運気がもの凄く上がる」とも言われた。
私は<晩年が凄く良い>と20代の時に言われいた。その時に「ねぇ 晩年て何歳から?」と聞いても「<晩年>は人によって違うから、何歳からとは言えない」と突き放された。私の<晩年>がやってきたのだ・・・早いかな?とも思うけれど、これからの20年、私の運気は最高に良いと言う。
<おめでたい私>は素直に信じるし、<達成の年>と言われても、自ら<達成>となるよう努力しなければ事は運ばないと頑張った。結果往来。胸を張って言える。「今年は<達成>の最高に幸せな年でした」と。
<コロナ禍>となり、嫌なニュースが多くなった。<倒産><閉店><解雇><生活困窮>etc.
私は心に誓った。「絶対に 負け組 にはならない。なってたまるか」と。
サロンでの<施術>からは卒業した。お客様から<惜しむ声>をたくさん頂けた時・・・「私の21年は間違っていなかった」と心から思った。誠実にただ誠実にお客様と向き合ってきたことへの<お言葉>と本望だった。
<卒業>から3か月・・・21年やり切った私にはなんの<後悔>もない。
これからの<私>にワクワクしている。
大晦日に<五郎さん>を見ながら<寝落ち>する時間を手にした。21年間になかったことだ。
<やることがない>とDiaryに綴る・・・あり得ないことだった。
そう私は<時間>を手にした。こんな日が来るとは思ってもいなかった。
亡き母に、父に心から感謝している。私が<困らない>よう死しても道を残してくれた。
その<道>を私は無駄にすることなく<切り開いた>。頑張った。
そして<自足>という言葉を知り、気づくことができた。気づけた私は多分<楽>な気持ちで生きていける。
これまでもそうだった。<人と比べて生きることほど、馬鹿げていることはない>と思ってきたけれど、<私はわたし>のスタンスは一層、強くなる。「お仕事は?」と聞かれたら「私 パート なんです」て笑える。
私にとっての<仕事>は<自足>できればそれで良いものになった。それより、<自分がやりたいことだけををやり><自分が関わりたい人とだけ関わる>そういう人生を選べる時が来たことに素直に「はい。そうします!」と心に正直に生きる。
謙虚さを忘れず、弱き人を助け、誠実でいることはそのままに。
母を亡くした時、私は死のうと考えた。このお話はDiaryに綴っている。私はいま「あの時、死ななくて良かった」と心から思っている。生きたから、生きられたから、いまの私がある。私の命は<2人の弁護士>と<男性調停員>により救われた。
これまでの人生の何かひとつでも欠けていたら、今日はなかった。
だから苦しみにも、悲しみにも<波乱>にも「ありがとう」と言える。そして<許す>ことができる。
今年もDiaryを開いてくださり、ありがとうございました。
つたない綴りの私の日々・・・写真もない。お気に入りの場所やレストランの名を明かさない。
それなのに・・・開いてくださる。とても嬉しい思いです。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。私の<老後のお楽しみ>にお付き合いください。
では、お身体にお気をつけて、良いお年をお迎えください。
ごきげんよう。