Archive | 10月 2021

10/23(土)

こんばんは。お久ぶりです。
寒くなりました。お元気ですか?

私は週休4日を楽しんでおります。
<アート引越しセンター>から段ボール箱が届きました。<断捨離>がすっかり終わっているので、お引越し迄に箱詰めするだけ。だから時間が沢山ある。
<保育園>のお仕事もそれなりに行っています。

今日は午前中に<新居>へ不動産屋さんと工務店の社長と行って来ました。
工務店の社長が「このエントランスもロビーの雰囲気も今のマンションよりずっと素敵で良いじゃない!」て言ってくれました。
お部屋はコンパクトだけれど、「良い いい。僕が住みたいくらいだ。バルコニーも広くて綺麗で・・・眺望も最高じゃない!日当たりも良くて、言うことなし。安心した!」て。

「ホントにそう思う?」「本当だ」「あ~ 安心した!プロのおじ様にそう言って頂けて・・・私の選択は間違っていなかったって思えた!あ~ 良かった!」って二人で笑った。

サロンで使っていたお気に入りのイタリー製の<鏡>を付ける場所と、<銀座ボーグ>の帽子ケース7個を収める棚の位置を決めて頂き、キッチンの換気扇が今風で・・・レンジフードフィルターがいらないんだけれど・・・「フィルターを付けられる方法はない?」と社長に聞いた。「方法はある。簡単だ」と言う。「そう じゃあ やって!」とお願いした。

中古マンションだけれど、リホォーム済物件で、エアコン・給湯器・照明も勿論、新品!
でも、<シーリングライト>が気に入らないから「家のを取り外して、付けて!やって!」と言ったら・・・「出る 出る!康子様の<やって>が」とお小言を頂いた。そうなのよ・・・<Men’s>には・・・「やって」を言う。やってくれるのがね・・・わかってるから。ここが私の狡さです。わかってる。

社長と私のやり取りに、<鍵>を開ける為にだけ来た不動産会社の社長も笑っていた。
彼にも<やってくださる?>と<車でお迎えに来てくださるんでしょう?>を何度も言った。彼も「はい」と「かしこまりました」だけだった。

<信頼でき信用できる人。嘘のない誠実な人>に「良いマンションだ!」と言って頂けた今日は・・・<良い日>でした!
何の迷いも不安もない。私は正しい選択をした。

あ~ 言いたい。私の住まいの場所を。

明日は私を<磨き>ます!月曜日も<おでかけ>だから。

おやすみなさい。ごきげんよう。

This entry was posted on 2021年10月23日.

10/10(日)

こんにちは。休日如何お過ごしですか?
私は、のんびりしております。良い感じです。

お客様や友人から「どうやって不動産会社を見つけたの?」「どうやってお仕事先の保育園を見つけたの?」と聞かれる。
私の答えは「すべてが私の<間違え>から始まったんです」。

私は<アナログ>の人間だ。ネットに自分の個人情報を入れて、何かをすることに怖さを感じている。
昔、むかし<聖子姉さん>のカウントダウンコンサートのチケットをネットオークションで2回買っただけだ。
そんな私が8月の初めに「家は幾らぐらいで売れるんだろう」と思った。大手不動産会社の<査定>画面を開いた。
初めてのことだ。個人情報を全て入れてはみたものの「やっぱり やめよう」と<キャンセル>だか<送信しない>だかを<ポチ>したつもりが・・・<送信>で行っちゃった。そしたらスマホが鳴る鳴る・・・私、知らなかったのよ。
電話に出ると「査定に伺います」ていう名も知らない不動産会社からのもの。この速さに仰天した。
一本目の電話に私は「ごめんなさい。間違えて送信してしまいました」てお詫びしたの・・・この不動産会社は感じが悪くてね。
2本目の電話・・・とても感じが良かった。「会社の所在地はどちら?」と「あなたのお役職はなに?」と聞いてみた。
「会社は○○駅前で、小さいですが社員を6名抱えています。僕は代表取締役です」と返ってきた。
私の住まいから程近い所に会社がある・・・地元のことがよくわかっている・・・と思った。<代表取締役>には決定権があり、全てにおいて話が早い。「自転車でこれから伺えます。一度、査定だけでも如何でしょうか?」と言う。
私は「<査定>だけよ」と<彼>に来て貰うことにした。

彼は<築28年>の我が家の綺麗さに驚いていた。「綺麗にお使いですね」と驚いていた。
全てを見せた。バルコニーの眺望も素晴らしいと言う。
私は自分からは<お金>の話をしない性格だ。黙っていた。<彼>が<仲介>と<お買取り>金額を声にした。
<お買取り金額>に私は仰天した。このマンションを売った人の<売却金額>を噂で幾つも聞いていた。購入時の1000万円落ちが当たり前だった。ところが・・・私は500万円落ち・・・信じられなかった。
「この金額に嘘はない?書面を交わさなくても揺らぐことはない?」と聞いた。「確定します」と返ってきた。
「後日、連絡します。○○社長が<確定>と言ってくださった・・・私もお約束します。他の不動産会社の電話にはでない。他の不動産会社に査定を依頼しない。<あなた>にお願いする」と伝えた。

その後にすぐにお客様で10階を数年前に売却したN様にお電話をかけた。一連のことを伝えた。
N様が言った。「私のところは1000万円落ちだった。そのお話が本当なら凄く良いお話よ。うちは大手が安心と思って<住○不動産>で売却したけど・・・間違えだったと思ってる」と。「凄いお買取り金額だと思う」と。

ここから<不動産売買計画>が始まった。<彼>に「お互いがwin win にならないとならない。失敗は許されない。あなたを信じる」と伝えた。<彼>はフットワーク軽く、よく私に付き合ってくれた。

サロンを〆るには新たな<生業>が必要だ。ネットで<調理師求人>と検索した。
<応募>にはやっぱり<個人情報>を入れないとならない。情報を入れてはみたものの・・・怖いなって・・・違う方法があるはずだと<キャンセル><送信しない>を<ポチ>したつもりが行っちゃった。

後日、応募会社からお電話を頂いた。面接日時が決まった。
面接で本社に行き・・・きちんとした会社だと感じた。面接管もきちんとしていた。
その場で<採用>が決まる。入社研修と<健康診断>に後日、出かけた。会社指定の<健康診断>クリニックの素晴らしさに驚いた。<区の健康診断>で行く<町のクリニック>とは大違いだった。「きちんとした会社なんだ」と思った。
そりゃそうだ<○○区立の保育園>に業務委託されるには、きちんとした企業でなくてはならないのだから。
私の不安が消えた。この会社を信じようと思った。

アナログの私の<ポチ>間違いで全てが動き出し、結果・・・全てが私の望み通りになった。
引越しに向け、4年前の<チーム>が集まる。引越し業者の当時の営業担当の○○君に電話をかけた。
お世話になった工務店の社長にも連絡を取った。助けて貰える・・・本当に心から感謝なのだ。

嘘みたいなホントのことが起きるのよ。
この一連のできごとのなかでね・・・私は<亡き母>を傍に強く感じていた。
<神様はいるんだ><お母様は間違いなくいる>って感じない日がなかった。
<見えない力>は間違いなくある。

これで、<どうやって?>のお答えになったかしら?

間もなくお昼・・・<ナポリタン>を作ることにします!昔ながらの<喫茶店>に負けてたまるか!

ごきげんよう。

追伸;保育園でのお仕事が決まったとお客様のT様に伝えると・・・「<制服>を入れるのに使って」とお手製のパッチワークバックを送ってくださった。サイズもバッチリ!「大切に使わせて頂いております」と制服の入ったバックの写真をlineで送った。
「軽井沢の別荘に居るから、お時間があれば何時でもいらっしゃい」と返信を頂いた。
「ありがとうございます」と返した。
保育園は週3日だけど・・・残念ながら・・・役所に行ったり、引越し見積もりに<油圧ベット>の回収があったりと用事があるから・・・伺えない。でも、こうして変わらずに温かいお気持ちを頂けることに心から感謝しております。

This entry was posted on 2021年10月10日.

10/9(土)

こんにちは。曇り空ですが・・・薄日のさす午後です。
お元気ですか?私はスコブル元気です。

お客様からlineが届く。お電話を頂く・・・「寂しい」と仰る。
「康子さんはやっぱり強運です」と妹分達が言う。
「これからは<お友達>としてお付き合いしてくださいね」と人生の先輩方が言う。
「年内、康子さんが落ち着いたら、お食事に行きましょうね」と皆さんが言う。
そして「応援する」「康子さんの人生設計は何の心配もなく、正しい」と言われる。
サロンでのお別れに涙は無かった。お客様も私も笑顔で笑っていた。

私が「21年間 私は やりきった!悔いなし!これからの私にワクワクしかない」と笑ったから。
そして、私の転居先、勤務先に誰もが納得したから・・・どちらにも誰もが溜息をついた・・・「さすが!」だと。
どちらも<場所>が良い。私は<住所表示>に拘った。好きな場所に拘った。

<不動産売買契約>も済んだ。あとは<決済>と<お引越し>。<断捨離>も迷いなく済ませた。
<段ボール>に2箱の生まれた時からのアルバム・・・全部、捨てようと思った。
「その前に一度、見てみよう」と箱を開けた。子供の頃の母と姉と3人での写真が沢山・・・父が撮っている。
何処に行くにも<良いお洋服>を着ている。足元は<エナメルの革靴>・・・<長瀞>の川辺でも<革靴>を履いている。笑みが零れた。私は間違いなく<幸せ>だった。両親に愛されていた。分厚い一冊のアルバムに収まるだけの写真を残した。

幼稚園、小学校、中高、大学、社会人・・・万が一、「昔の写真を」と言われないとも限らない。
その時、「一枚もない」となれば・・・「この女、過去を消したい何かだあった?」と思われ兼ねない。
私が<銀座>で生まれ育った事実もちゃんと残した。大学の入学式に卒業式・・・大企業に努め、秘書をしていた過去も証明できる。あとは潔く<可燃ごみ>に出した。
<死んだら持っては行けない><残された品々を処分する人間は大変だ>とチャッチャと済ませた。

サロンで使っていた<インディバ(美容機器)>は持って行く。自分の為にだけ使う。
厄介な<油圧式ベット>の処分先も決まった。高額だと予測できた。
私は小さな嘘をついた。「このコロナ禍で閉店を余儀なくされたんです。そこをなんとか・・・」と泣き顔をしてみた。
<女>を武器にしたら想定内に収まった。ラッキー。

あっ <保育園>のお仕事も3回行きました。ここでも私・・・自分の希望が叶ってね。
<契約社員>のフルタイムで直ぐにでも・・・って感じだったの。私は気ままな<パート>で良かったのよ。
週3日の一日6時間位で・・・それが、面接中に「気ままなパートじゃないぞ」て。
「まっ 社会保険に加入できるってことは、年金額が上がるってこと・・・それも一案か」って発想の転換をした。
何より<経験のない私>を好条件で採用してくれることに感謝しかなかった。

でも、私には譲れないことがあった。新居への<お引っ越し>が済むまでは<パート扱い>でないと嫌だと言ってみた。
「週3日の6時間でお願いしたい」とね。OKを頂けた。だから、今は<パート>。4日もお休み!

3回行ったお仕事のお話しはまた次に致します。

ごきげんよう。

追伸;10年ぶりの<大きな地震>大丈夫でしたか?10年前は私、銀座の<木挽町中通り>を歩いているさなか。
建物の中の<揺れ>を知らない。今回は寝室にいた。<揺れ>よりスマホの<音>と<声>にまた飛び上がった。
これ心臓によくない。lineが飛び交う。互いの安否確認。怖かった。

This entry was posted on 2021年10月9日.

10/3(日)

おはようございます。
秋晴れの良いお天気の朝です。お元気ですか?

私は元気にしております。
Diaryの更新ができないでいた時間・・・以前<私はひとつのものを手中に収めた>あとひとつは私が「OK」と言えば手中に収めることができると綴っていました。収めました!

頑張った私・・・7年前に母を亡くしてからの<目標>・・・これからの人生、自分がどう生きたいか・・・答えはすぐに出たけれど、すぐには動けなかった。「その時は必ず来る。絶対にそうしてみせる」と思いながら7年。
<その時>が来た。私には迷いがなかった。<行動力>がある私は、誰もが驚く程に動いた。
自分の<目標>も<幸せ>も己が動かずには達成も手にもできない。私は<つかみ>に行く。

つかんだ!今、私はホッとしている。清々しさのなかにいる。後悔はない。

お話しますね。

昨年3月から始まった<コロナ禍>・・・一回目の<緊急事態宣言>で私もサロンを<休業>した。
私には<時間>ができた。様々なことを考えた。
時が過ぎるなかで事態は好転せず・・・職を無くす人、閉店を余儀なくされる飲食店・・・悪い話ばかりだった。
この事態を<マイナス>に捉えるか・・・<プラス>に捉えるか・・・人其々だ。
私は<転機>と捉えた。チャンスだってね。そして良い<引き際>にするって。
<コロナ禍>でも私のサロンは順調だった。お客様の笑顔を見ると揺らぐこともあった。
「ごめんなさい」と私の心が何度も言った。

私は母の遺産相続で<お家騒動>が始まり、2年も<家庭裁判所>に通った。<調停>だ。
このことはDiaryに事後報告している。キツカッタ・・・苦しかった。誰にも言えずに堪えた。
誰にも言えない苦しみを私は<勉強>にぶつけた。
<親のいない子供の役に立ちたい>・・・自分の最後のお仕事は<児童養護施設>だと母を亡くした私は思うようになった。
<無給>でも構わないと思った。私にできることは、子供達に<ご飯を作る>ことくらいだ・・・保育士・教員免許を持っていないから。だから国家資格の<調理師免許>を取る為に勉強した。
合格した私の心が言った。「この苦しみのなかで手にした資格を眠らせておく私は大馬鹿だ」って。「いずれ調理師免許を持っていないと就けない仕事に絶対についてみせる」って。

その時がきた。私は公立の保育園に契約社員としての職を得ることができた。一発合格だ。
大量調理の経験のない私をよくぞ採用してくださいましたと心から感謝した。「無給でいいんです。調理師免許は持っています。お料理が好きです」と言っても<大量調理の経験>がなければ<児童養護施設>も雇ってはくれない。私に必要なのは<経験>だ。

そして、私は<住まい>を変える。女だてら?に<不動産売買>をやってみた。
<相続>で手にしたマンション・・・4年住んだ。母がしていたように私は綺麗に住んだ。
誰もが驚く金額で<お買取り>して頂いた。私は<不動産屋>の選択を間違えなかった。誰もが知る<大手>は買い叩くことを知っていた。地域密着の街の不動産さんにお願いした。不動産屋さんは<ここ>が高く売れることを知っている。
リフォーム後、一か月もあれば売れることを知っている。これは地元の不動産屋だからだ。

私は<山の手>の文教地区の環境の良い洒落たマンションに移る。10階のバルコニーからは<東京タワー>の夜景が美しい。
この夜景を見た時、私の心が叫んだ。「見たくもない(遠目に見えた)<東京スカイツリー>とは、オサラバ!これからは<東京タワー>だ」って。

物事は決まる時は早い。目まぐるしい程に。私の<転機>は上手に行った。やっぱり<強運>?かも。

綴りたいことは、まだまだ沢山ありますが、取り急ぎご報告です。
私はワクワクしています。
私は<両親の為>に生きてきた・・・<良いお嬢さん>と言われなければならない。私は<母の作品>でなければならない。
両親が喜ぶように生きないとならない。ずっとずっとそう思って生きてきた。

母の七回忌。父の一回忌が過ぎたいま・・・私は自分の為にやっと生きられる気がしている。

サロンは10月1日をもって<卒業>致しました。
このHPは残します。私の<軌跡>ですから。Diaryも綴り続けます。

お話が様変わりしますね。これからも宜しくお願い致します。

ではまたね。ごきげんよう。

This entry was posted on 2021年10月3日.