おはようございます。
秋晴れの爽やかな朝です。お元気ですか?私は元気です。
<お彼岸の入り>です。自然て凄いなって・・・思うのよ。
<彼岸花>の<曼珠沙華>が真紅の花を咲かせる。ちゃんと咲く頃をわかっている。
ここにも・・・あそこにも・・・お散歩しながら愛でることができる。
<入り>の前にお墓のお掃除を済ませた。綺麗に拭き上げ、磨いてきた。
この時勢・・・私には<お墓>しか行くところがないみたいだ。
迷いがある時、決断をする時、願う時、願いが叶った時・・・私は必ずお墓に行く。
「お母様 私は こうしょうと思うのよ。私は 間違っていませんか?」
「私の願いを叶えてくれて、ありがとうございます」 と日々の暮らしのなかで声にしているけれど、「お墓参りに行こう!」と結局は墓前に行ってしまう。
どんなに墓石に話しかけても答えはない・・・わかっている。
最後は母が最期に私にくれた言葉・・・教えを声にする。
「ヤコちゃんは 自分の信じた道を まっすぐ一本 いきなさい」・・・「私が 信ずる道を 行くわね。一緒にいてよ。絶対よ。お願いね」と磨き上げた黒御影に鏡のように映る<私>を前に墓石に手をあて「お母様 一身同体よ」とニコリと笑う。
皆が使う<水汲み場>を整え、「向こう三軒両隣ですから・・・」と呟きながら<よそ様>の墓前を掃く。
私の心は清々とする。<平>になる。
<お墓参り>には行ったほうが良いとDiaryに綴っている。<ミラクル>が起こるかもしれない。
<健康診断>を控えている私が願うことは「無事でありますように」だ。
月に2回と年始・・・単純計算で49回・・・これに「そうだ お墓に行こう!」が加わる。
お寺が近いからできることだ。父は<三男坊>・・・<お墓>がなかった。
<お墓>を買う時、母が言った。「足場が良い方がいいに決まっている。ヤコちゃんが来やすいのがね・・・」と。
母の思惑に私はどっぷりとはまっている。さすがだと母を想う。
良い休日をお過ごしください。ごきげんよう。